石川の3日目は、特にボランティア活動はありません。6:30にビュッフェに行き、今日も現場に行くひろつぐさんをお見送り。
その後は、BSでMLBを見ながら、部屋で業務を行いました。それが、ホテル金沢、なんとチェックアウトが11時。神ってます。ゆっくり仕事できた。しかも、その横で大谷くんが50-50をすんなり達成。
かっこよ。
空き家の公費解体、大きな声では言えない話
昨晩、ボクと別行動したタケナカリーは、食事の席で友人に今日の活動について話すと、空き家が公費解体されている理由を教えてもらったそうです。
公費解体は、たとえ建物が空き家であっても、り災証明書で「半壊」以上と判定されたら申し込めるそうです。なので、とっくの昔に転居して、処分せずにいた空き家のオーナーが今、こぞって公費解体を申し込んでいると噂になっていると。つまり、昨日ボクらが作業した現場は、まさにその内の1件だったというわけです。
本来は自分で行わないといけないゴミ出しと解体費用が、ボランティアと市の費用で全部タダ。う~ん、、、昨日の作業はいったい何だったんだ、、、ってやっぱりちょっと思いました。ただその反面、そのオーナー自身も能登半島地震の被災者なら、それはそれで助かるしなぁ、、、とも。何だかすごいモヤモヤするぅぅぅ。
これはあくまで想像ですが、役所の仕事なので公費解体は申込みがあった順番に行われていく気がするんです。「空き家を公費解体するな」とは言いません。せめて、地震の日まで居住実態のあったお宅の公費解体を優先して欲しいなと。
でも、役所ってそういった融通が利かないですよね。七尾市の実態はどうなんでしょうか?
ボランティアこそ遠方の人の方が良いのかも!?
大谷くんの活躍とは裏腹に、公費解体のリアルな現状にどんよりした気分になりましたが、そんな気分を晴らしてくれるのはやはり美味しい料理。
という事で、金沢最終日のランチはなんとコース料理。
お店どこ!? ってなる門構えのこちら、
『海月が雲になる日。』さんです。
タケナカリーが予約してくれていました。
ランチは我々を入れて3組。同時にコースがスタートし、店主が一皿ごとに料理の説明をしてくれるお店です。でも、ボクにはスパイスや食材の知識が全くないので、それはそれはただの呪文でした。
タイ料理のコースということだけれども、ベトナム料理などの影響も受けているとか何とか、、、詳しくはタケナカリーのInstagramを見て下され。リノベされた古民家がとても素敵で、ボクにはツボでした。縁側の感じサイコーだし、トイレもオサレでした。
食事を終えた後、店主さんと少しお話ができました。その流れで、東京からボランティアで来たと言うと凄い感謝されました。
店主さんも地震直後は支援に入っていたらしいんですが、だんだんと足が向かなくなってしまって、、、と仰ってました。「心が疲れちゃうんです」というのがその理由。
自分が知っている景色や、子どもの頃に育った場所が地震で破壊されてしまった景色を見るのは、きっと相当な負担だと思います。
おそらく、支援している最中も帰ってからも、複雑な思いは拭えないでしょう。そしてそれは、やらなきゃならないという使命感にもなる。でも、行ってみると毎回、辛い思いをして帰ることになり、気持ちは晴れない。次第に足が向かなくなり、行けない自分を責めてしまう。そんな負のスパイラルを感じました。
思い返せば、金沢のさまざまなお店で「実家が能登です」「おばあちゃんちが能登です」といった具合に、本人は金沢に住んでるけど、家族が能登で被災していると言っていたスタッフさんにたくさん接客してもらいました。
金沢辺りに住んでいれば、現地に行こうと思えば簡単に行けちゃいます。行こうと思えば簡単に行けてしまう距離であることが、少し残酷なのかもしれません。他人事じゃない。けど、足が向かない事に罪悪感を募らせている。そんな人が金沢ににはたくさんいるのかもしれません。それだからか、ボランティアで来ているという事が伝わると、毎回ちょっと驚くほど感謝してくれました。
今回は旅行を兼ねて気軽なスタイルでのボランティアでしたが、その土地に縁もゆかりもない人ほど、ボランティアに向いてるんじゃないか? って気持ちになりました。
「ボランティアは趣味ですよ。やらなきゃいけない、なんて思ってないし、高尚なことをしてるとも思ってない。」
以前、四番隊の活動をインタビューした際に、そう言っていたよんさんの言葉は、その時よりも理解できるようになったと思います。感情移入しすぎない、ラフさも大切なのでしょう。(良ければ、四番隊よんさんのインタビュー記事もご覧ください>>>「災害支援は暇つぶし」|災害支援団体『四番隊』代表理事よんさんにインタビュー)
旅のまとめ
一緒に旅行したタケナカリーさんは食の世界の人なので、今回の旅行はグルメに重点を置きましたが、宿泊拠点の金沢にはさまざまな名所があり、とても素敵な街であることは言うまでもありません。
それにしても、金沢グルメはお魚だけじゃありませんでした。金沢で1回も寿司を食べないなんてことがあるんですね。それにしても、ピルピル美味しかったなぁ。
2泊3日のボランティア旅行。実際にボランティアに入ったのはたったの1日。ホントにそんなんで良いの? とも思いますが、四番隊のよんさんは、ご自身のFacebookでこのように言ってくれました。
“被災地への支援は作業だけじゃありません。知ること。災害関連の発信にリアクションすること。現地に旅行に行き、お金を落とすこと。現地の物を買うこと。など、いろいろあります。”
毎週末、災害現場で活動している人が「ボランティアに興味を持って」ではなく「現地に興味を持って」と言ってくれています。まずはそんな事からでいいそうです。
日本や世界中で発生する数多くの災害は、他人事です。それが自分事に変わった時、きっと人は災害に備え始めるのだと思います。日本に住む限り、いつかボクらは被災をします。その日がくる前に、災害を自分事として捉えて、1人でも多くの人が事前に備えるようになってくれると嬉しいなぁって思います。
そして、災害を自分事にするために、現地を見に行くことはとても良い経験となりましたし、見える世界も変わったように思います。
その翌日・・・
東京に戻って翌日。テレビを点けると、能登半島が大雨で大変なことになっていました。
それが、令和6年奥能登豪雨です。
ニュースでは、数日前に車で行った輪島市に大きな被害が出ているとか、、、詳細が分からないので余計に心配になります。
立ち寄ったファミリーマートは大丈夫かな? あの時見かけたネコは? 現地を知ってしまったから、余計に心配が募ります。数日後に被害状況を調べてみると、立ち寄ったファミリーマートは休業をしていることを知りました。
(被災したんだ・・・)
その事をタケナカリーにも伝えると、同様にショックを受けていました。
ほんの数時間だけ滞在した場所が被災するだけで、こんなにショックを受けるものなのか、、、体験して分かりました。それこそ、自分が育った場所や親族の暮らす街なら尚更。海月の店主が仰っていた心のダメージはまだ想像しかねます。
空き家からの家財の搬出より、水害の後に行けた方が役に立てたのに・・・そんなやるせない想いを抱きながら数日過ごしていたら、これまた四番隊のよんさんから、
「今週末、車で能登に行くんすけど、一緒にドライブに行きません?」
なんとも軽いお誘いが。
どうしても行きたかったので、家族にその旨を伝えると娘が大反対。すると陰で妻が娘を説得してくれ、娘から涙声で音声メッセージが届きました。その内容は
「私のお菓子がいっぱいあるから、家が無くなって困っている子に届けてきてくれるならいいよ」
泣きました。
ボクの防災への興味が娘にも伝わっているのもそうですが、石川の現状を知り、自分にはどういう支援ができるのか?を考えた結果がこのメッセージです。防災教育も侮れません。
という事で、翌週末、急遽石川県に再訪することになりました。
石川県に関する一連のお話し、次回は、能登半島を襲った大雨の被害状況編です。
今回、未来防災課が活動に入らせてもらった災害支援団体『四番隊』さんのホームページはコチラ>>https://yonbantai.com/
2024年、四番隊さんは石川県や山形県に支援に入っていました。活動場所は石川県だけではありませんので、ちょっとボランティアしてみようかなぁ・・・みたいなノリで、参加しやすいエリアがあれば是非とも参加してみてください!