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2024.12.12 ボランティアなのに金沢を満喫!?旅行も可能な、意気込み過ぎずにできるボランティアを体験!【2日目】闇を発見!?七尾市編

石川県のボランティア旅行2日目。今日は1日ボランティア活動してきます。

その前に腹ごしらえ。

ホテル金沢の朝食のビュッフェはとても美味しそう。のどぐろの南蛮漬けなんかもありました。宿泊客以外も食べられるそうですが、その場合には2,500円するみたいです。なんて贅沢なモーニングでしょう。

ボクは普段、朝食はヨーグルトと果物。ビュッフェでは困ることが多いのですが、どちらも完備。嬉しすぎるー。

食事を終え、出すもの出して、準備を整え、7:30前に出発。
(活動先のトイレ事情はベールに包まれているので、出せる環境の時に、出すものを出しとくのはかなり重要なことなのでは? と思ってます)

いざ、ボランティア活動!!

活動場所は七尾市。拠点と呼ばれるボランティアセンターに向かいます。

Googleのナビで向かえば良かったところを、カーナビを使ってしまったせいで時間がかかり、到着が9:00に。朝のミーティングに間に合わなかった・・・ごめんなさい。

さて、今日の作業内容は『公費解体をする建物から、家財の運び出し・廃棄』です。10年以上空き家のお宅だと教えてもらいました。

作業人員は、全員で7人。「これならあっという間かな?」

と思って作業に入りましたが、意外と時間がかかる、かかる。その理由は、ゴミの分別。

9月の時点では、災害ゴミとしてではなく普通のゴミとして出すようで、燃えるゴミ、燃えないゴミ、金属、家電(コンセントに繋ぐ物は全て家電扱い)を分けて捨てるルール。

大変だったのは、傘。骨組みと布地を分けるのが大変。無理やりやると骨組みが予測不能な動きをするので、変に跳ね返ってきて目に刺さりそうになって怖い。恐る恐るやっていると「ちょっと貸して」と現場のリーダー。手渡すと、見事に一瞬でバラバラになりました。料理上手な人の卵の皮むきみたい。

ゴミを出すだけでも慣れている人とはこんなに差があるのか、と。ちょっとだけ嫉妬しました。

最初は気付かなかったけど、作業に入った家がものすごく広く、次から次へと物が出てきて、あっという間に出入口付近に家財が溢れかえりました。

そうなると、トラックに積んで集積所に運びます。

現場のリーダーと2人で集積場までゴミを運ぶことになったので、道中、作業してて不思議に思った事を聞きました。

今更、家財の搬出をしている理由

ゴミ集積場に持ち込んだ廃棄物

作業をした日は2024年9月19日。地震が起きたのは1月1日でしたよね。「9か月も経ってるのに、今になって家財の運び出し?? 遅くない!?」ってみなさん思いませんか?

その理由を聞いてみると、行政と現場にチグハグな状態があることを教えてもらいました。

  1. もともと役所からは、公費解体をするお宅からは家財の運び出しをしなくて良いことになっていた。なので何もせず、解体業者が手配されるのを2~3か月待っていた
  2. 実際に解体業者が現場に来ると「家財を運び出してもらわないと解体できない」と言われた
  3. 家財の運び出しの仕事がボランティアに周ってきた
  4. そうこうしている間に「もう災害ゴミも減ったので・・・」という事で、災害ゴミの集積所が市の判断で閉まってしまい、普段の集積所に一般ゴミとして出さないといけなくなった(しかも有料)
  5. どうにか市と交渉して、決められたボランティア団体は無料でゴミを捨てられることになった
  6. 公費解体をする建物から、家財の運び出しが続いている

なんか、残念すぎる。

お役所と現場の意思疎通が全くできてなくて、唖然としますよね!?

「家財の運び出しは不要」という話が、どうして事前の処分が必要と変わってしまったのか? その理由はこうです。

  1. 市は、公費解体を七尾市内にある解体業者に発注することにした
  2. 七尾市内には、解体業者が数社しかないので、当然のことながら人手が足りない
  3. 結局、解体業者は下請けに仕事を依頼し、下請け業者は孫請けに、孫請け業者はさらに・・・と、案件がどんどん下請けに流れていく
  4. 中間業者は手数料を取るので、その数が増えれば増えるほど、実際に作業をする業者はほぼ儲からない構図に
  5. その状態だと、家財まで捨てていたら赤字になるから「家財は捨ててください」となった

書いててせつなくなりました。日本の災害対応のレベルの低さと言うのでしょうか? 七尾市で生活していた人たちが可哀そうで仕方がありませんが、これが現実みたいです。

「地元の業者にお金が入るように」と言えば聞こえはいいですが、業者を探すことを市が地元の業者に丸投げしてるだけ、とも捉えることもできます。市外の業者を含めて探して、中間業者を減らす努力をすれば、もうとっくに公費解体は進んでいたんじゃないかと思うと、残念でなりません。

地方ならではの問題!?

ボランティアセンター 通称:拠点

ゴミ集積所に先に向かった2t車が、帰りに現場がわからなくなるハプニングが起きました。すぐさま、現場の住所を共有するも到着できない、、、

理由は、(おそらく)住居表示の未実施区域で地番を元に住所が定められている地域だから。そう言えば、朝も指定された場所に向かっていたのに、住所だけじゃたどり着けなかったっけ。そうそう、それで遅くなったってのもあるのだ。(言い訳)

地図を見ながら「川見えますー?」みたいな確認をして、何となく今いるであろう場所を探りつつ、あーだこーだあって、やっとこさ到着。これって凄く不便ですよね? 直接防災とは関係ありませんが、全国の住居表示の実施は国や県などが進める防災対策に組み込んでも良いと思いますが・・・ そうすれば、全国のウーバーの配達員さんからも喜ばれること間違いなし! なんとも効率のよい施策。

住所だけじゃたどり着けないなんて、いつの時代まで放っておくのでしょうか。この状態を当たり前だと思ってはいけないよなーって思いました。

誰も知らない戦い・・・

今回の現場は、地震で被災をして、解体することになったお宅からの家財の運び出しではなく、10年位ずっと空き家だった家からの家財の運び出しでした。これも、なんとも「むむむ」な内容です。

そんな中、タケナカリーは見てはいけない物を見てしまいました。それは、中身が入ったまま放置された冷蔵庫。※秩序を守るため、その写真は載せません

後になって思えば、昼食の間、彼、否、カリーは思い詰めていたと思います。いつもより、言葉数の少ないカリー。

午後の作業に向かう車の中で、遂にカリーは重たい口を開きました。

「冷蔵庫やるか! やっぱ、人が嫌がることしなきゃダメかー」

かっこよ。

と言う訳で、2人、軍手の上からうっすいビニール手袋をしっかりはめて冷蔵庫と向き合うことに。

見慣れた冷蔵庫と違い、扉を開けた中は、真っ黒。帰ってこい、白物家電!! 時間が経ちすぎていたからなのか、においは1周まわってさほど? な状況。これはいい意味で意外でした。

作業工程は、この世にあるどんな物よりも汚い物を触る時のことイメージしてみてください。ビニール手袋以外が決して何かに触れることの無いよう、ゆっくり慎重に体を動かし、指先のちょっとだけの面積を使って1つずつ。つまんでは捨て、つまんでは捨ての繰り返し。元が何だか分からない物を、こんなに大量に捨てたことはありません。

途中、冷凍食品の袋などがいくつも出てきました。よせばいいのに、カリーは興味に抗えず賞味期限を見ると・・・

『02.02.16』

ん?

02って、令和? な訳ないよね!? え、まさか西暦??

え、え? えーーー!?

22年前の冷凍食品でした。2002年。まだ、ぼくとカリーさんがキャンパスライフしてる年です。空き家になって10年なんてレベルじゃないじゃんよ。見なきゃよかったぜ、ちくしょー。

その後、キッチンからは白骨化した鳥の・・・

もう、止めましょう。

作業はそれほど大変ではありませんでしたが、精神的には疲れました。

実は、ボクらが捨てた物の中に、液体が入った瓶がありました。本当は、液体は全て破棄して、容器だけにして捨てなくてはいけません。でも、さすがに開ける勇気が無く、これは見なかったことに・・・という事でポイとゴミ袋に入れてまとめたら、後になって、

「斎藤さん、こういうのは中身を捨ててください」

って一緒の現場の人に注意をされました。

その人は不意に蓋を開け、あっという間に中身を捨て、一瞬で破棄完了。

時が止まりました。

「あ、それは、、、」と言葉にしようした時には、全てが終わってしまったんですから。

感謝と同時に、酷く罪悪感を覚えたので、どうして中身を捨てることが出来なかったのか、その理由は黙っておくことにしました。雄弁は銀、沈黙は金。きっとそれが今。言い訳は飲み込み、とにかく感謝の言葉を一言だけ勇者に伝えました。

そんなこんなの作業を1日行って、2tトラックと軽トラで2往復分の家財を集積場に持っていけました。災害ボランティアは、自分の労働が直接誰かの役に立っていると実感でき、やり甲斐はひとしお。でも、今日の現場で言えば、全ての作業を終えられなかったことが、心残りでした。

2日目の活動後

作業を終え、拠点に戻り、1日の作業の報告をすると活動終了。

帰って入ったお風呂が最&高!! 今年1番気持ちのいいお風呂だったことは間違いないかなぁ。「生き返るー」って声が思わず漏れちゃった。お風呂、大事。被災地にお風呂が来てくれるのって、想像できないくらい嬉しいんだろうなぁ。

さて、夜はまた金沢でご飯ですが、今日タケナカリーは金沢の友人と、ボクは、今日の現場のリーダー、ひろつぐさんと食事。

SABAR+』というさば料理専門店に連れて行ってもらいました!

人の肘から指先ほどもある大きさの見事なサバ

「ホントにサバしか無いんですけど、良いんですか?」

5回くらい聞かれました(笑)

その言葉通り、刺身の盛り合わせも全てサバ。なめろうもユッケも全てサバ。おまけに、フライドポテトに乗ってるのはサバ節。そして、乾杯の音頭は「おつかれサバです」というサバ推しのお店。あっぱれ! でも、さすがにレモンサバーとかまでは無かったです。とてもいいバランス感覚。

調べてみると、みなとみらいにもお店があるようで、帰ってからでも行けるのは嬉しい。ホントに美味しいお店でした。

余談

今日、一緒の現場で活動した他のメンバーは、パルシステムの社員さんでした。なんとパルシステムさん、会社の業務としてボランティアに行くスタッフを募り、毎週何名もの従業員さんを現地に派遣してくれているそうです。

ボランティアを業務にしちゃうって、なんて会社なんでしょう。偉い。スゴい。素敵。しかも、それを大々的にアピールしてない。後日、別の場所でパルシステムの社員さんに質問してみたら、生協(生活協同組合)という非営利の組織なので、そういった形でアピールしないんですよね、だって。

かっこよ。

消費者が主役のパルシステム、ファンになりました。我が家は元々会員なので、これは引き続きお世話になりたいー。皆さんも全国の被災地の応援のつもりで会員になってくれたらパルシステムさんが喜びますよー。

ボランティア旅行の2日目、現場からは以上です。

3日目のお話しは、なぜ空き家からボランティアが家財を運び出しをするのか? 遠方の人ほどボランティアに向いてるのかも?といった内容です。そちらも是非、読んでください。


今回、未来防災課が活動に入らせてもらった災害支援団体『四番隊』さんのホームページはコチラ>>https://yonbantai.com/

活動してみたい! 活動がてら、金沢に遊びに行きたい! なんて方がいらっしゃったら、是非参加してみてください!! いきなり1人だとハードルが高いようなら、友人を誘って参加してみてはいかがでしょうか。

斎藤啓之

執筆者:斎藤啓之

1980年生まれ
両親の出逢いはテニスコート。男3人兄弟の長男で、3世代で暮らし、友だちから「サザエさんのウチみたい」だと言われるような家庭で育つ。
料理は全く出来ないが調理師免許を持っており、味噌が変わると判る味覚をもつ。
剣道の有段者なので、棒で人を叩くと逮捕される。
趣味は、高3の秋から始めた野球。甲子園を目指したことの無い野球人。
ほとんどの人にA型?と聞かれるO型。

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