こんにちは。未来防災課のサイトウです。
僭越ながら、わたくしサイトウは防災士の資格を持っております。とは言っても、たった2日間の研修で取得できる資格ですけど。
取得のきっかけは東日本大震災。いつか必ず起きる、次の震災に対して、自分が出来ることを知りたかったので、何をすれば良いのか分からず、とにかく学ぶことにしてみました。
研修では、何名もの講師がテーマごとに講義をされるのですが、その中のある講師はこう言いました。
「みなさん、勘違いしているかも知れませんけど、地震で人は死なないんですよ」と。
はて?
東日本大震災だって、阪神淡路大震災だって、関東大震災だって、多くの方が亡くなられているのに、何故。
果たして、この言葉にはどんな意味があるのでしょう、、。
「地震で人は死なない」の意味とは
地震が起きたときに、あなたが何処にいるのか?どんな被害に巻き込まれるのか?いつ発生するのか分からない地震では、それを予測することはほぼ不可能です。
突如、超デカい巨人が地球をシェイクしているんじゃ・・・ と感じるような衝撃が起きたその時、もし、あなたが見渡す限り平坦な畑のような場所にいたら、死の危険はあるでしょうか?
いくら大きな揺れであっても、そこが畑のような場所なら、悪く見積もっても転んで骨折程度。死ぬ可能性はゼロに近いはずです。
ではそれが、築50年超の家屋の中にいたらどうでしょう?家が倒壊して、潰されてしまうかもしれません。
何が言いたいのかと言うと、
「地震」はあくまでもきっかけであり、死ぬかどうかの要因は別にあるという事です。
研修の講師が伝えたい「地震で人は死なない」とは、
地震の揺れで人が死ぬのではなく、揺れることで発生する何かしらの被害に巻き込まれることで人が亡くなってしまうということをちゃんと理解するように! ということなのです。
なーんだ。そんな事か。
と思うかもしれませんが、実はこれを分けて考えることはかなーり重要なことだと思います。
だって、備えない人の言い訳って、分けて考えられていないことがよく分かるんですもん。
それでも、その時はその時だと言い続けますか??
「地震が来たら、その時はその時」と言う方は、地震が来たらなるようにしかならない。何も出来ないし、何をしても無駄。助かるかどうかは運だ、と考えているように思います。
例えば、同じ強度の家があったとします。
1件は家具などをしっかりと固定する派。もう一方は、なるようになれ派。
震度6強の地震が来ました。結果はどうなるでしょう。
両方とも家が倒壊したら、家具の固定は無駄になります。だから、結局なるようにしかならないのは1つの事実かもしれません。
でも、なるようにしかならないなら備えなくても同じだという考えは、きっと違います。
何故か。それは、地震で死ぬわけじゃないからです。
家が倒壊しなければ、ちょいと家具の固定する、しないで家の状況はまるっきり変わります。それこそ、あなたや家族に家具が倒れてきたら、大きな違いになりますよね。
なるようにしかなりませんが、対策次第で結果は変わるはずです。
それでも、やっぱりその時はその時だと言えるのでしょうか?
まとめ
地震が発生した瞬間に死んでしまうのであればお手上げです。来たら終わり。それなら何をしても無駄です。
でも、幸いな事にそうではないんですよね。地震の揺れで発生する別のことから自分や家族を守れればいいんですから。
それで、その備え方はまた何とも地味な方法な訳です。
家具や家電の固定。正にこの地味な作業が、結果一番有効な家族を守る方法なんです。
地震に備えることは、忙しいし、めんどくさいし、お金もかかるし、見た目も悪い。
ですけど、それで家族みんなが助かる可能性があるなら、検討の余地はあるませんか?
そうは言っても、せめて見た目は悪くならないように家具の固定とか出来たら良いですよね。自分は嫌ですもん。家具に穴開けるのとか、抵抗ありありですもん。
なので、そんな人でも出来る備え方を考えよう!探してみよう ってのがこの未来防災課!!
そんな未来防災課にこうご期待!
やるのはオイラ